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信長さん、喫茶店行こまい
「明智光秀の影武者説が残る街(岐阜県山県市)」
2010/06/26/05:55

市なのに県という文字を使う。
市なのに鉄道の駅が一つもない。
「だから?」
と言われそうである。
単なる僕の興味をそそっただけである。

JR岐阜駅前のバスターミナルから塩後行きの路線バスに乗り込む。
約30分程度で山県市へ入っていく。
2003年に山県郡高富町と伊自良村、そして美山町が合併して山県市になった。
山県という名前自体は古いようで、
奈良時代には既に存在していたことが
東大寺の正倉院に保管されている最古の戸籍から、わかっているそうだ。

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山県市に入ってから更に30分程度バスに乗った美山中学校前のバス停で降りる。
実は、この市にもう一つ興味がわいたことがある。
「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀の墓があると聞いたのだ。
明智光秀の家系は、
京で活動していた武士「摂津源氏」の流れを組む土岐氏であると言われている。
土岐氏の家紋が桔梗であったことから、この塚は、そう呼ばれているのだろう。

「桔梗塚」の前に喫茶店に立ち寄ることにした。
美山中学校前のバス停を降ると、
すぐにログハウスのような喫茶店を見つけたからである。
山県市は路線バスの車窓から、喫茶店をよく見かけた。

ランチは日替わりメニューのみの喫茶店で、
手書きの5つのメニューから選ぶ。
ハンバーグとアイスコーヒーのセットをいただく。
優しく懐かしい味のハンバーグだった。

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ノートパソコンを開き、
再度、「桔梗塚」の場所の確認をした。
トンネルの中を歩いていかなくてはならないことが気にかかった。
歩道がなければ危険である。

しかし、トンネルの中はきれいな歩道が整備されていた。
しかも、外の気温がぐんぐん上がってきていたので、
逆にトンネルの中がひんやりしていて散歩には心地いい。

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トンネルを出て、更に5分程度歩くと桔梗塚に到着する。
「きんかん頭の墓?
こんなところに奴の墓などあるのか?
ワシの墓のように嘘ではないのか?」
憑いた信長はそう言った。
以前も書いたが、信長は光秀の謀反に対し、
悔しいと言いつつも、
恨みはないようで、
光秀所縁の場所でも憑いてくる。

桔梗塚の説明によれば、
歴史上、信長の死後、
光秀は豊臣秀吉に追われ、亡くなったとされているが、
実は影武者だったと書かれている。
本人は密かに母親の郷里である山県で、
荒深小五郎の名で住んでいたのだとか。

光秀最後の話は、いろいろある。
山崎の合戦の途中、
落ち武者狩りの百姓に竹やりで刺殺されたという話もあれば、
怪我を負い、光秀の家臣に首を打たせて、
その近くの竹やぶに埋めたという話もあれば、
丹波亀山の谷性寺まで首を持ち帰った話もあれば、
坂本城まで持ち帰ったという話など諸説ある。

しかし、桔梗塚の話は出てこない。
信長が言うように本当かどうなのかはわからない。
少なくとも歴史の教科書には出てこない話である。
ただ、そういった伝説というものがあるというのは、
いろいろな想像をかきたたせてくれ、楽しいものである。

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そうそう、山県市の読み方をまだ書いていなかった。
「山県」と書いて「ヤマガタ」と読む。
山形県の「ヤマガタ」と同じ読み方である。
「だから?」
と言われそうだけれど。

PROFILE

イシコ
1968年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒業後、女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を経て、(有)ホワイトマンプロジェクト設立。国内外問わず、様々な分野から参加するイシコの友達が白塗りをして、子供向けのショー、映像制作、本、ワークショップなど様々なコンテンツを生み出していく。2008年からは世界の一都市一週間のペースで滞在する「セカイサンポ」をスタートさせ、2009年3月「セカイサンポ2」まで終了。ここ数年は執筆活動が多く、機内誌、新聞、WEBなど様々な媒体にエッセイ、ブログを寄稿している。