
市なのに県という文字を使う。
市なのに鉄道の駅が一つもない。
「だから?」
と言われそうである。
単なる僕の興味をそそっただけである。
JR岐阜駅前のバスターミナルから塩後行きの路線バスに乗り込む。
約30分程度で山県市へ入っていく。
2003年に山県郡高富町と伊自良村、そして美山町が合併して山県市になった。
山県という名前自体は古いようで、
奈良時代には既に存在していたことが
東大寺の正倉院に保管されている最古の戸籍から、わかっているそうだ。
山県市に入ってから更に30分程度バスに乗った美山中学校前のバス停で降りる。
実は、この市にもう一つ興味がわいたことがある。
「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀の墓があると聞いたのだ。
明智光秀の家系は、
京で活動していた武士「摂津源氏」の流れを組む土岐氏であると言われている。
土岐氏の家紋が桔梗であったことから、この塚は、そう呼ばれているのだろう。
「桔梗塚」の前に喫茶店に立ち寄ることにした。
美山中学校前のバス停を降ると、
すぐにログハウスのような喫茶店を見つけたからである。
山県市は路線バスの車窓から、喫茶店をよく見かけた。
ランチは日替わりメニューのみの喫茶店で、
手書きの5つのメニューから選ぶ。
ハンバーグとアイスコーヒーのセットをいただく。
優しく懐かしい味のハンバーグだった。
ノートパソコンを開き、
再度、「桔梗塚」の場所の確認をした。
トンネルの中を歩いていかなくてはならないことが気にかかった。
歩道がなければ危険である。
しかし、トンネルの中はきれいな歩道が整備されていた。
しかも、外の気温がぐんぐん上がってきていたので、
逆にトンネルの中がひんやりしていて散歩には心地いい。
トンネルを出て、更に5分程度歩くと桔梗塚に到着する。
「きんかん頭の墓?
こんなところに奴の墓などあるのか?
ワシの墓のように嘘ではないのか?」
憑いた信長はそう言った。
以前も書いたが、信長は光秀の謀反に対し、
悔しいと言いつつも、
恨みはないようで、
光秀所縁の場所でも憑いてくる。
桔梗塚の説明によれば、
歴史上、信長の死後、
光秀は豊臣秀吉に追われ、亡くなったとされているが、
実は影武者だったと書かれている。
本人は密かに母親の郷里である山県で、
荒深小五郎の名で住んでいたのだとか。
光秀最後の話は、いろいろある。
山崎の合戦の途中、
落ち武者狩りの百姓に竹やりで刺殺されたという話もあれば、
怪我を負い、光秀の家臣に首を打たせて、
その近くの竹やぶに埋めたという話もあれば、
丹波亀山の谷性寺まで首を持ち帰った話もあれば、
坂本城まで持ち帰ったという話など諸説ある。
しかし、桔梗塚の話は出てこない。
信長が言うように本当かどうなのかはわからない。
少なくとも歴史の教科書には出てこない話である。
ただ、そういった伝説というものがあるというのは、
いろいろな想像をかきたたせてくれ、楽しいものである。
そうそう、山県市の読み方をまだ書いていなかった。
「山県」と書いて「ヤマガタ」と読む。
山形県の「ヤマガタ」と同じ読み方である。
「だから?」
と言われそうだけれど。
