
人生の中で思い出に残る喫茶店を1つあげてください。
そう言われたら、
どの喫茶店が思い浮かぶだろうか。
出勤前に通う喫茶店、
学生時代によく通った喫茶店、
プロポーズした喫茶店、
喫茶店を経営している方には申し訳ないが、
味などよりも、そういった生活の時間、
もしくは記念日で使った喫茶店の思い出が浮かぶことが多いのではないだろうか。
ただ、死ぬ寸前に走馬灯のように映像として流れる喫茶店となると、どうなのだろう。
こればかりは実際になってみないとわからない。
「わしは、狸が用意してくれた茶屋から見た景色が浮かぶのぉ」
信長がそうつぶやき、
本能寺で亡くなる2ヶ月程前の信長の旅の話を始めた。
武田を滅亡した後、信長の一行は遊覧旅行していた文献が残っている。
どうやら、その途中、狸こと徳川家康がプロデュースした茶屋で接待を受けたようだ。
そこで富士山でも見たのだろう。
古道センターの裏手にある温泉に入った後、
アイスコーヒーを飲みながら、信長の話を思い出した。
古民家を改造した店の窓からは、
尾鷲湾が見え、
世界遺産熊野古道馬越峠のある「てんぐらさん」が見える。
死ぬ間際に浮かぶかどうかは別にして、
この喫茶店から見える風景は、
人生の中で何かの折には、きっと蘇ってくるだろう。
「九鬼は、このあたりではないか?」
海風が心地よく、うとうとしかけた時に信長が憑いた。
尾鷲市に九鬼町という場所がある。
織田信長に仕えた武将で九鬼嘉隆は、
三重県志摩市出身である。
しかし、九鬼という名前の出自は、未だよくわかっておらず、
この尾鷲市で生まれたという説が有力である。
九鬼嘉隆が率いた水軍「九鬼水軍」は、
水上での戦いが強く、
水軍武将として知られており、
信長だけではなく、
信長の死後も、秀吉のお抱え水軍だったようだ。
「奴らには金がかかったよのぉ」
信長は懐かしそうにつぶやいた。
1570年代、石山本願寺との確執に信長が頭を痛めていた頃の話である。
石山本願寺側についた毛利水軍に九鬼水軍が破れたことがあった。
この敗戦に激怒した信長は、
九鬼嘉隆に燃えない船を創るように命じ、
彼は船の表面に鉄を貼った鉄甲船を完成させた。
もちろん莫大な費用がかかった。
しかし、その甲斐あって、九鬼水軍は、2年後の戦いで毛利水軍を破ったのである。
信長の死後、秀吉に仕えた九鬼嘉隆は、
関ヶ原の戦いで西軍につき、
西軍が破れた後に自害した。
海風が店の窓際に下がっている風鈴を鳴らした。
まるで、仏壇の鈴のような音に聞こえた。
しばらくその音色に耳を済ませ、
いつしか心地よい眠りに堕ちていった。
