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        <title>信長さん、喫茶店行こまい</title>
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        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Sat, 04 Sep 2010 13:52:58 +0900</lastBuildDate>
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        <item>
            <title>「戦国時代に曜日感覚はあったのか？（東海道サンポ8）」</title>
            <description><![CDATA[<p>スポーツ飲料を凍らせた冷凍ペットなる商品を持ち歩くようになっていた。<br />
首の後ろにペットボトルを当てると気持ちよく、<br />
熱中症対策にもなりそうだ。<br />
しかも、いい具合に溶けていき、<br />
最後まで冷えた状態で飲むことができる。</p>

<p>さて、前回の続きである。<br />
豊川市のホテルを出て、駅前で冷凍ペットを購入して電車に乗り、<br />
前日、歩くのを切りあげた岡崎市の本宿駅まで戻り、<br />
再び豊川方面に向かって歩き始めた。</p>

<p>午前中は時速４キロ。<br />
いつしか自分の中にできあがってきたペースである。<br />
午後になると疲れと暑さで時速３．５キロまで落ちてくるので、<br />
涼しいうちにできるだけ距離を稼ぎたい。</p>

<p>豊川市に入った頃、<br />
一本目の冷凍ペットがなくなり、<br />
イオン系のコンビニエンスストア「ミニストップ」に立ち寄った。</p>

<p>冷凍ペットを手にレジの前の列に並んでいると、<br />
キャッシャーの横のアイスコーヒーの機械が目に入った。<br />
ミニストップには僕が今まで一度も利用したことがないイートインのスペースがある。</p>

<p>ここで飲んでみたい...、<br />
しかし、午前中に、少しでも前に進みたい...<br />
二つの気持ちが交錯しながら躊躇していると<br />
「飲んでいこまい」<br />
憑いた信長の声が聞こえた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017973-1.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017973-1.JPG" width="240" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>ミニストップのアイスコーヒーのこだわりは豆というよりも、<br />
時間をかけて氷結させた純氷を使っていることで、<br />
豆の香りと旨みを引きたてているとインターネットには書かれている。<br />
味に鈍い僕にはすっきりした飲みやすいアイスコーヒーであることくらいしかわからない。</p>

<p>イートインスペースの椅子に座り、<br />
アイスコーヒーを飲みながら、<br />
ノートパソコンでネットサーフィンをしていると<br />
前のテーブルに小学生らしき子供連れの親子が座り、ソフトクリームを食べていた。<br />
その光景を見て、今日が日曜日であることに気がついた（東海道サンポは７月頭で、まだ夏休み前だった）。</p>

<p>歩き始めて４日目。<br />
既に曜日感覚はなくなっていたのである。<br />
戦国時代に曜日感覚があったのだろうか。<br />
「ない！」<br />
信長はそう言った。</p>

<p>曜日が日本に伝わってきたのは平安時代だと言われ、<br />
藤原道長の日記には、毎日の曜日が記載されていた。<br />
しかし、戦国時代から江戸時代の初め頃まで、<br />
一般市民の間で曜日を使うことはほとんどなかったらしい。<br />
曜日を日常生活でも使うようになったのは、<br />
明治時代初めにグレゴリア歴が導入されてからのようだ。</p>

<p>さて、約１ヶ月に渡って東海道サンポの模様を、お送りしてきたが、<br />
この後、静岡に入っていき、<br />
「喫茶王国」の範囲からはずれていくので、<br />
ここで東海道サンポの報告はおしまいである。<br />
次回からは通常の連載に戻ります。<br />
ちなみに岐阜を出発してから１３日目の火曜日、僕は無事、東京に辿りついた。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0628.html</link>
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            <pubDate>Sat, 04 Sep 2010 13:52:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「禁断の温泉で歩く気力ゼロ（東海道サンポ７）」</title>
            <description><![CDATA[<p>足はもう限界だった。<br />
しかし、宿泊場所は決まっていない。<br />
目の前には竹千代温泉。<br />
日帰り温泉で宿泊場所はない。</p>

<p>既に足は温泉に向かっていた。<br />
日本三大美人の湯と言われる和歌山県龍神温泉と同じ泉質を持つ重曹泉の温泉である。<br />
肌がツルツルになることは嬉しいが、<br />
今の僕には足の疲れをとってくれる効能の方が嬉しい。</p>

<p>竹千代温泉。<br />
竹千代とは徳川将軍家の幼名、つまり幼い頃の名前である。<br />
もちろん徳川家康も竹千代だった。<br />
岡崎市内の温泉らしい名前である。<br />
ちなみに信長の幼名は吉法師。</p>

<p>露店風呂で足をマッサージしていると、<br />
歩く気力は確実にゼロに近づいていた。<br />
と、その時である。<br />
雨がぽつぽつと降り始め、そこから一気にゲリラ豪雨。<br />
これで歩く気力はゼロになった。</p>

<p>今度は、火照った身体を水風呂で冷やし、<br />
足首をまわしながら、今後の予定を考える。<br />
送迎サービスを利用して、温泉から名鉄「本宿」駅まで送っていただき、<br />
そこから電車で豊川稲荷まで行く。<br />
そこまで行けばホテルはあるだろう。<br />
そして、明日、再び、本宿駅まで戻ってから歩き始めることに決めた。<br />
脱衣所でノートパソコンを開き、豊川稲荷のビジネスホテルを予約した。</p>

<p>温泉のスタッフに駅まで送迎していただく途中、<br />
車内に客が僕一人だったこともあり、<br />
いろいろなお話をさせていただいた。</p>

<p>僕が東京まで歩いている話をすると、<br />
「年に一人くらいは、そういう方がいらっしゃいます。<br />
でも...」<br />
と思い出すように話し始めた。</p>

<p>名古屋の中学生が夏休みを利用して一人で東京まで歩いている途中で、この温泉に立ち寄ったそうだ。<br />
そして、たまたま同じ時に、やはり東京まで歩いている中年男性も温泉に立ち寄られ、<br />
その後、二人で一緒に東京まで歩いて行ったという手紙を後日、いただいたそうだ。</p>

<p>さて、本宿駅から、久しぶりに電車に乗った。<br />
電車という文明の利器が、こんなに有難いと思ったことはない。<br />
豊川稲荷のビジネスホテルに到着しても雨は降り続いたままだった。<br />
部屋に入り、洗濯だけ済ませると、<br />
この日も朝まで一度も目覚めることなく８時間眠った。<br />
それだけ眠っても、まだまだ寝不足のような心持である。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017970.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017970.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>朝食はホテルで済ませていくことにした。<br />
食堂のコーヒーメーカーに、<br />
本日のコーヒーは、「ブラジルスモーキー」と書かれていた。<br />
聞いたことがない豆だったので、<br />
部屋に戻るとインターネットで調べてみた。<br />
ブラジルサントス完熟豆をスモーキーな風合いに仕上げた豆なのだそうだ。</p>

<p>「いつになったら出発するのじゃ<br />
そろそろ歩かぬと江戸には着かぬぞ」<br />
憑いた信長が珍しく、喫茶店ではなく、歩くことを勧めた。<br />
昨日の雨は嘘のように上がり、空は青空。<br />
テレビでは、名古屋の最高気温は３５度近くまで上がると伝えていた。<br />
本日も過酷そうだ。<br />
しかし、アイスコーヒーが美味しそうだ。</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0627.html</link>
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            <pubDate>Wed, 01 Sep 2010 13:19:38 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「マクドナルドのコーヒーについて考える（東海道サンポ６）」</title>
            <description><![CDATA[<p>この連載を初めてから13カ月。<br />
牛丼屋のアイスコーヒーについて書いたことはあったが、<br />
マクドナルドなどのハンバーガーチェーン店のコーヒーについて触れたことはなかった。<br />
ようやく今回、触れることにする。<br />
この東海道サンポの中で取りあげることになるとは思わなかったけれど。</p>

<p>岡崎市内に入り、<br />
岡崎城前で、再度、憑いてきた信長がうっとうしかった。</p>

<p>徳川家康は、名古屋城のイメージが強いが、<br />
この城で生まれたんだよなぁとつぶやいていると、<br />
信長がつっかかってきたのである。<br />
この城で家康が生まれたことに対してではなく、<br />
名古屋城のイメージは徳川家康の方が強いと言ったことに対してである。<br />
信長にとって名古屋城は父信秀のイメージであってほしかったらしい。<br />
それは名古屋城でも那古野城の頃の話だよと説明しながら歩き続けた。</p>

<p>しばらくすると、一時、止んでいた雨が降り出し、<br />
一気に強くなってきた。<br />
強くなってきたというレベルのものではなくゲリラ豪雨である。<br />
そこで目に入った岡崎インター近くのマクドナルドに飛び込んだわけである。</p>

<p>僕は20代から30代にかけて、<br />
子供ショーで全国各地を旅する仕事が多く、<br />
その際、全国各地のマクドナルドに立ち寄ることも多かった。<br />
しかし、10年近く前、その仕事を辞めてから、<br />
パタッとマクドナルドから遠のき、<br />
少なくともコーヒーはコーヒー専門店で飲むことが多くなっていた。</p>

<p>セカイサンポという世界の街を旅する中で、<br />
世界中のマクドナルドに立ち寄る企画もあり、<br />
再びマクドナルドに入るようになった。<br />
１年半程前、日本に戻り、<br />
久しぶりに日本のマクドナルドのホットコーヒーを飲んでみた。<br />
明らかに美味しくなっていて驚かされた。<br />
世界中のどこのマクドナルドのコーヒーより美味しい気がした。</p>

<p>その話を知人にすると、<br />
日本のマクドナルドのコーヒーは、日本独自で作ったものだと教えてくれた。<br />
２年ほど前、オリコンランキングで、<br />
買いたいコーヒーNo.1にマクドナルドのコーヒーが選ばれたこともあるのだそうだ。<br />
驚くべきことは、ドトールやスターバックスというコーヒー専門店を抑えての１位である。</p>

<p>もちろん値段的な理由も大きいだろうが、<br />
美味しくなければ、１位になることはないだろう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017969.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017969.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>さて、改めてマクドナルドのコーヒーについて。<br />
オリジナルブレンドなのだが、アラビカ種１００％の豆。<br />
アラビカ種について触れておくとエチオピアが有名だが、<br />
現在は、世界中の１０００メートルから２０００メートルの標高の高い場所で育てられ、<br />
世界に流通するコーヒー豆の７割程度がアラビカ種である。</p>

<p>アイスコーヒーは、アイスコーヒー用にローストして、<br />
店でドリップしているのだそうだ。<br />
コクがあるのに、すっきりしている。<br />
すっきりしないのは天気である。<br />
雨が止むのを待ちながら、<br />
アイスコーヒーをおかわりしながら、<br />
２時間以上、マクドナルドに滞在しているのである。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0626.html</link>
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            <pubDate>Sat, 28 Aug 2010 08:56:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「モーニングにうどんがつく店（東海道サンポ5）」</title>
            <description><![CDATA[<p>ホテルの大浴場で入念にマッサージをして、<br />
午後9時には眠り、翌朝5時半まで、<br />
8時間以上眠ったのだが、身体中の筋肉痛は残ったままだった。</p>

<p>しかもホテルを出発して約2時間。<br />
知立市に入ると雨が降ってきた。<br />
灼熱の太陽も嫌だが、雨もわずらわしい。</p>

<p>歩くにはカッパの方が楽だと思わないこともないのだが、<br />
この季節にカッパを着るというのは、<br />
サウナに入るようなものである。</p>

<p>雨には濡れないかもしれないが、<br />
汗でぐしょぐしょになる。<br />
結局、僕は片手がふさがっても傘の方を選ぶことにした。</p>

<p>傘をさしながら進んでいくと<br />
国道一号線から200メートル程入ったあたりのところに喫茶店が見えた。</p>

<p>初日であれば、<br />
間違いなく立ち寄ったのだろうが、<br />
筋肉痛をまとった身体と脳が躊躇していた。</p>

<p>片道200メートル。<br />
往復にして400メートル。<br />
普段であれば、何てことない距離であるが、今は違うのである。</p>

<p>前に進む400メートルではなく、横に進む400メートル。<br />
東京には1メートルも近付いていないことになる。<br />
そう考えるとどうしても二の足を踏む。</p>

<p>「けつの穴が小さいやつよのぉ。<br />
そんな情けないことを申すな。<br />
少しの距離くらい変らんだろ！<br />
喫茶店行こまい！」<br />
信長は憑くなり言った。<br />
ただ単にアイスコーヒーが飲みたいだけのくせに。<br />
結局、往復400メートルの道草を食うことになる。</p>

<p>喫茶店のドアを開けると、<br />
まるで時間が止まったように、<br />
一斉に視線がこちらに集まった。<br />
雨に濡れた大きなリュックを背負った怪しい中年男が、<br />
地元の喫茶店に入ってきたら、<br />
僕でも見てしまうだろう。</p>

<p>しかし、それは、ほんの一瞬のことで、<br />
すぐに、それぞれのテーブルの時間に戻っていく。</p>

<p>僕は極力、目立たないように入り口に近い席に座り、<br />
リュックを降ろすとアイスコーヒーを頼む。<br />
モーニングには、うどんがついていた。<br />
メニューの書かれた黒板を見ると150円増しで、うどんは大盛りになる。<br />
それよりもトーストにうどん。<br />
今回の東海道サンポでは、体験したことのないコーヒーとの組み合わせに次々と出会うようだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017966.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017966.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017965-1.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017965-1.JPG" width="90" height="68" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>ウィキィペディアによれば、<br />
既に室町時代には中国から伝わった小麦粉で作った麺「切麦」は、あったようだ。<br />
もちろん、うどんより細い冷麦に近いので、<br />
それがうどんの発祥と考えることに異説を唱える方もいるようだ。</p>

<p>「記憶にないのぉ」<br />
うどんに関する信長の反応は鈍かった。<br />
ちなみに名古屋名物のみそ煮込みうどんは、武田信玄の陣中食だったほうとうが、<br />
武田家滅亡、徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって伝えられたという説がある。<br />
これまた、尾州の繊維業では女性が機織り機で生地を織っていた時代、食事を作る時間がないため、台所の時間を稼ぐために、朝、作った赤だし味噌汁に、昼は乾麺をゆでて、赤だし味噌汁の中にぶちこんで食べたのが始まりという説もある。</p>

<p>江戸時代、農村ではうどん禁止令があったなどという話も残っている。<br />
つまり贅沢だというのである。<br />
うどんも調べていくと面白い話が次々と出てくる。<br />
こうして、うどんについて調べているうちに雨も上がったようだ。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0625.html</link>
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            <pubDate>Wed, 25 Aug 2010 21:35:03 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「麻婆豆腐とコーヒーの組み合わせ（東海道サンポ４）」</title>
            <description><![CDATA[<p>午後3時を過ぎた。<br />
そろそろ本日の宿泊先を決めなくてはいけない。<br />
国道1号線沿いのファミリーレストランで、アイスコーヒーを飲みながら、<br />
ノートパソコンを開き、<br />
近隣のホテルを探す。</p>

<p>通常のホテル探しとはわけが違う。<br />
後、どのくらい歩くことができるかを自分の身体と相談しながら決める。<br />
ホテルの質よりもホテルの場所の方が優先になる。</p>

<p>後8キロが限界だろうなぁと思いながら、足首をまわす。<br />
できればこのまま休みたい。<br />
ファミレスのコーヒーも取っておこうと思いつつ、結局、シャッターを押す気力さえなかった。<br />
肉体的にも限界が来ているようだ。</p>

<p>インターネットの地図で調べると、8キロ先は豊明市。<br />
豊明市のビジネスホテルを調べ、<br />
空室を見つけることができ、予約を入れる。<br />
インターネットのありがたさをこういうときにつくづく感じる。</p>

<p>戦国時代の人はどうしていたのだろう。<br />
暗くなる頃に宿場に到着すればいいが、<br />
もし、何もなければ、やはり野宿だったのだろうか。<br />
憑いた信長に旅のときの宿について聞いたことがあるが、<br />
「城か寺」<br />
と短く答えただけだった。</p>

<p>確かに信長クラスの人間であれば、<br />
周囲が先回りして、宿泊場所の手配等をしていたに違いない。</p>

<p>残り8キロを2時間で歩くのは予想以上に苦しかった。<br />
思っている以上にペースが落ちていたのである。<br />
17時半頃には到着すると思っていたが、<br />
「豊明市」に入ったことを知らせる表示ボードを通り抜けた時は、既に18時をまわっていた。</p>

<p>更に進んでいくと目印の高速道路の高架が見えてきた。<br />
どうやらホテルまで残り1キロを切ったようだ。<br />
その時、左手に中華料理店が現れ、立ち止まった。</p>

<p>一旦、ホテルに入ってしまったら、<br />
もう出掛けることが嫌になってしまうだろう。<br />
だったら、ここで夕食を済ませてしまった方がよさそうだ。</p>

<p>昨日はお茶漬けにアイスコーヒーだったが、<br />
今日は麻婆豆腐にアイスコーヒーである。<br />
もちろん生まれて初めての組み合わせ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017961.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017961.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「なんじゃ、これは？」<br />
憑いた信長が言った。<br />
中国の地名を参考にして「岐阜」という名前をつけた信長なのに、<br />
麻婆豆腐も知らないのかと、からかってやった。</p>

<p>しかし、信長が知らないのも無理はない。<br />
信長の頃、中国には、まだ麻婆豆腐はなく、清の時代に生まれた料理である。<br />
成都という場所にあばたがたくさんあるおばさんがいた。<br />
あばたのあるおばさんのことを中国語では「麻婆」と呼ぶ。<br />
その「麻婆」が、労働者向けに作った豆腐料理が評判を呼び、<br />
「麻婆豆腐」と呼ばれるようになったわけである。</p>

<p>麻婆豆腐とアイスコーヒー。<br />
はたして中華料理にコーヒーが合うのか。<br />
味覚の話をすると自信がないのだが、<br />
コーヒーというのは、にんにくなどの臭いを消す効果があると言うことをこじつければ、理にはかなっていることになる。<br />
ただ、コーヒーの口臭は残るわけなのだけれど。<br />
まぁ、どちらでもいい。<br />
早くホテルに入って眠りたい。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0624.html</link>
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            <pubDate>Sat, 21 Aug 2010 05:05:05 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「喫茶店がスナックの役割を果たす（東海道サンポ３）」</title>
            <description><![CDATA[<p>一宮市を歩いているとスーパー銭湯が目に入り、誘われるように入って行った。<br />
これが大失敗だった。<br />
スーパー銭湯自体は、よかったのである。<br />
良すぎたくらいである。</p>

<p>ぬるめの露店風呂に、ゆったり浸かり、<br />
ビーチチェアで裸のままひと眠りしたら、身体が動かなくなってしまった。<br />
一日のノルマ30キロの半分も歩いていないのだが、<br />
身体が慣れていないせいか、肉体が悲鳴をあげていたのである。<br />
ロビーの休憩室の椅子に座ると、また眠ってしまった。<br />
起きると22時を回っていた。</p>

<p>このままスーパー銭湯に泊まってしまおうかとも思ったが、<br />
このスーパー銭湯は午前1時まで。<br />
しかもここで歩かないで終了してしまうと、翌日にしわ寄せが来る。<br />
せめて名古屋まで歩こう。<br />
そう思ってスーパー銭湯を出た。</p>

<p>名古屋まで16キロの表示が出ていた。<br />
名古屋駅近くのカプセルホテルに到着したのは午前3時を過ぎていた。<br />
倒れ込むように眠り、9時まで、その姿勢のまま目を覚まさなかった。<br />
起きた時には身体中の節々が痛んでいた。<br />
４０過ぎても、翌日に筋肉痛が出てくるんだなぁ...と喜んでいる場合ではない。<br />
痛くても進まなくてはならないのである。</p>

<p>こうして名古屋駅前を10時過ぎに出発する。<br />
線路沿いを東に1時間程歩いて行くと、金山駅周辺に辿りつく。<br />
これで国道19号線を熱田神宮の方向に向かっていけば、<br />
国道1号線と交差する。<br />
後は、国道1号線を東に進んでいけば、東京まで辿りつくはずである。</p>

<p>その時、喫茶店の黒板の今日のランチ「カレー」の文字が目に留まった。<br />
少し早いが朝食も食べていないので、早目のランチをとることにした。<br />
地元客が一人座り、カレーを食べながら、店主らしき女性と会話をしていた。<br />
僕もカレーとアイスコーヒーを注文する。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017958.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017958.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>いつからだろう。<br />
カレーの色を想像すると濃い茶色をイメージするようになった。<br />
少なくとも僕の子供の頃のカレーのイメージは黄色だった気がする。<br />
僕が大好きだった戦隊ヒーロー「ゴレンジャー」の中で、<br />
黄レンジャーがいつも食べていた黄色のカレーが僕の脳には刻まれていたのである。<br />
久しぶりに当時を思い出させるようなカレーだった。</p>

<p>「親なんだけど、優しくなれないんだよねぇ」<br />
カレーを食べていたおばちゃんが、<br />
食後のアイスコーヒーを飲みながら、<br />
自分の母親を介護している苦労の愚痴を吐きだし続けていた。</p>

<p>時計は12時を回り、周囲のオフィスの男性客が続々と入ってきた。<br />
「自分の子供だから、どうしても甘えも出るしね。<br />
時にはヘルパーさんにまかせちゃったら？」<br />
女性は忙しそうに、ランチ用のトレーを並べ、おかずの付け合わせを並べながらも、<br />
一つずつの愚痴に対して丁寧に答えていた。<br />
「そうだねぇ。<br />
週に一回くらいはそうしてみようかしら。<br />
あぁ、これだけ吐き出したらすっきりしたわ。<br />
ありがと～」<br />
そう言って、支払いを済ませると彼女は出て行った。</p>

<p>地元の飲み屋やスナックのような役割を喫茶店が果たしていた。<br />
これはチェーン店のカフェにはない喫茶店の役割なんだろうなぁと思った。<br />
僕も元気が湧いてきたような気がした。<br />
もう少し歩いてみますか。</p>

<p>本日、信長の出番なし。<br />
</p>]]></description>
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            <pubDate>Wed, 18 Aug 2010 07:27:28 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「お茶漬けコーヒー（東海道サンポ２）」</title>
            <description><![CDATA[<p>岐阜県安八郡安八町の自宅から東京まで400キロを歩くことになり、<br />
自宅を出たものの、30分程、歩いて、<br />
すぐに疲れて喫茶店に入ってしまった。</p>

<p>先が思いやられるなぁと思いつつ、<br />
喫茶店を出て約2時間。<br />
国道18号線を黙々と東に歩いていた。</p>

<p>長良川を超え、羽島市に入り、<br />
新幹線岐阜羽島駅を通り過ぎ、<br />
更に東に進んでいき、<br />
木曽川を超えると愛知県は一宮市に入った。</p>

<p>停まっている車の屋根から陽炎が立ち上っている。<br />
この文章を書いているのは、<br />
1ヶ月以上後。</p>

<p>その間に最高気温37度も味わっており、<br />
歩いていた頃より、<br />
更に暑くなっているのだが、<br />
その頃は、まだ暑さに身体が慣れていない頃なので、こたえていたのだろう。</p>

<p>戦国時代の夏は、今より涼しかったんだろうなぁと思いながら、<br />
ペットボトルのミネラルウォーターを口にすると<br />
「今の方が涼しいじゃろ？」<br />
信長が憑いてきた。<br />
信長が、そう言うのは、部屋に入れば、扇風機やクーラーがあるからという意味らしい。</p>

<p>確かにそうかもしれないが、<br />
クーラーなどの熱が外気の気温に影響も及ぼしていることを考えると複雑である。</p>

<p>クーラーのことを考えていたら、無性に冷気を浴びたくなってきた。<br />
そう思い始めると、僕の意志はもろくて弱い。<br />
目に入った喫茶店にすぐ入った。</p>

<p>その店はコーヒー専門店らしいのだが、お茶漬けが自慢のようで、<br />
お茶漬けセットなるものまである。<br />
これだけ暑いと食欲も今一つなので（というか朝食とモーニングを食べているから当たり前なのだけれど）、いただいてみることにする。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017948.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017948.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>お茶漬けとアイスコーヒー。<br />
不思議な取り合わせである。</p>

<p>そういえば信長が登場する時代劇を見ていると、<br />
「湯漬けをもて～い！」<br />
と言って、湯漬けが登場するシーンを見かける。<br />
信長は湯漬けが好きだったのかと思ったのだが、そうでもないらしい。</p>

<p>戦国時代には今のように保温できる炊飯ジャーがあるわけでもなく、<br />
一度、ご飯を炊いて、冷めてしまうと固いご飯になってしまう。<br />
桶狭間の戦いのように、急遽出陣するという時に、<br />
炊いてすぐのご飯があればよいが、<br />
そんなに都合よくあるわけがない。<br />
しかし、<br />
「腹が減っては戦はできぬ」<br />
ではないが、腹ごしらえをしてから戦に出掛けなければならない。<br />
そこで、冷ご飯にお湯をかけて、食べることになるのである。</p>

<p>「なんだこれは。<br />
水をかけて食べるのか？」<br />
お茶漬けは温かいだし汁をかけるイメージがあるのだが、<br />
この店のお茶漬けは冷たいだし汁をかけて食べる。<br />
湯漬けの逆バージョンである。<br />
ちなみに、信長の頃は、あくまで湯漬けで茶漬けでなかったのは、<br />
信長の頃は、まだ、茶は貴重品の時代だったからだそうだ。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0622.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0622.html</guid>
            <pubDate>Sat, 14 Aug 2010 05:10:10 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「比叡山延暦寺の千日回峰行と東海道サンポ（東海道サンポ１）」</title>
            <description><![CDATA[<p><a href="http://shoplog.alc.co.jp/asaeigo/">英語教材「アルク」の夏休み企画で短期連載</a>することになり、<br />
夏休み＝冒険、アルク＝歩くという安易な発想から、<br />
岐阜県安八郡安八町にある自宅から東京世田谷区下北沢まで13日間かけて歩いてみることにした。<br />
距離は約400キロ。</p>

<p>どうせだったら東海地区を抜けるまでの間、<br />
この喫茶王国の目線でも書いてみようと思った。<br />
写真は少なくなるが、1か月おつきあい願いたい。</p>

<p>江戸時代の旅人は、たいてい1日の行程が8里（約32キロ）だったと言われている。<br />
ちょうど今回、400キロの距離を13日で割ると約33キロになる。<br />
1日30キロ程度であれば、軽く歩けるだろうなどと気楽に考えていた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017944.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017944.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>しかし、歩き始めて30分も経たないうちに、目に入った喫茶店に入っていき、<br />
アイスコーヒーを注文する。<br />
家で朝食を食べてから出てきたのだが、<br />
モーニングもぺろりと食べてしまった。<br />
体力を使うのである。</p>

<p>リュックからノートパソコンを取り出してインターネットにつなぎ、<br />
地図を開いて道順を確認する。<br />
出発してから、まだ2キロ程度しか進んでいなかった。</p>

<p>「物好きよのぉ。<br />
確か比叡山にそうやって歩く行があった」<br />
アイスコーヒーを飲んでいると憑いてきた信長が、淡々と言った。<br />
信長が焼き討ちした比叡山延暦寺のことである。</p>

<p>姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破った後、<br />
連合軍は比叡山延暦寺に逃げ込んだ。<br />
信長は延暦寺をかくまったとして、<br />
その後、焼き討ちにしてしまったのである。<br />
一応、かくまったことを理由としているが、<br />
当時、比叡山延暦寺は一大勢力を持っていたため、<br />
信長にとっては邪魔だったので消し去ったとも言われている。</p>

<p>信長と延暦寺の関係はさておき、<br />
この寺には「千日回峰行（せんにちかいほうぎょう）」という荒行が知られている。<br />
千日というと、ざっと3年という計算になるのだが、<br />
そうではなく７年間をかけて通算1000日の行である。</p>

<p>最初の３年間は、１年のうち100日を行に費やす。<br />
１日30キロを歩いて255ヶ所の霊場を巡拝していく。<br />
今回の東海道サンポのペースと同じである。<br />
続く2年間は1年に200日、同じ修行を行なう。<br />
つまり、5年間で700日の行が終わる。</p>

<p>そして、ここで9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」に入る。<br />
この行を終えないと次の行に進むことはできない。</p>

<p>この行の後、6年目は1年間に100日の行に減るのだが、<br />
1日に歩く距離は60キロと倍になり、<br />
巡拝する場所も266カ所に増える。</p>

<p>7年目の、前半100日間になると更に過酷になる。<br />
1日84キロ、300カ所の巡拝となる。<br />
1時間4キロとしても21時間。<br />
休憩を考えると夜中の2時に歩き始めるのだそうだ。<br />
そして、夜22時まで歩き、<br />
睡眠時間はわずか2時間。</p>

<p>こうして最後の100日間は当初の1日30Kmの行に戻る。<br />
これで合計1000日間。<br />
歩く距離は地球1周に匹敵する4万Kmにも及ぶ。<br />
延暦寺の記録では47名が成し遂げている。<br />
その中には2度、成し遂げた方が3名おり、<br />
現在も天台宗の僧侶として活躍される酒井雄哉氏もその一人。</p>

<p>そう考えると今回の400キロなど軽いもの。<br />
そう思って外に出るのだが、<br />
煩悩だらけの僕には灼熱地獄。<br />
次の喫茶店を探して、ふらふらと歩き始めるのである。</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0621.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0621.html</guid>
            <pubDate>Wed, 11 Aug 2010 06:44:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「農業技術センターと兵農分離（岐阜県岐阜市２）」</title>
            <description><![CDATA[<p>岐阜をぶらついているとショッピングモール「モレラ岐阜行き」のバスが目に入り、<br />
思わず乗り込んだ。<br />
モレラ岐阜に行きたかったわけではなく、<br />
その途中にある農業技術センターに行ってみたかったのである。</p>

<p>以前、書いたように、<br />
自宅に舞い込んできた耕作放棄地のことを考えていて、<br />
岐阜の農業技術センターのホームページを調べていたのである。</p>

<p>機会があったら行ってみようと思い、<br />
農業技術センターへの交通機関である「モレラ岐阜」と<br />
降車するバス停留所「又丸西」の名前を何となく覚えていたのである。</p>

<p>又丸西を降りると、<br />
5分程度で農場試験センターに到着する。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0024.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0024.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>敷地内には富有柿が並ぶ畑があり、<br />
実験中であろうビニルハウスがずらりと並び、<br />
建物の中ではミツバチ会議が行われていた（黒板に書いてあるのを拝見しただけだが）。<br />
興味深い場所ではあるのだが、<br />
自分の農業に対するインスピレーションをもらえるまでには至らなかった。</p>

<p>農業技術センターから、岐阜市街方面にぶらぶら歩いていると線路跡を見つけた。<br />
5年ほど前に廃線になった名鉄揖斐線だった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0033.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0033.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>バス通りに出ると喫茶店というよりカフェと言った方がいい店が現れた。<br />
子供の遊び場も設置されているせいか、<br />
小さな子供連れのお母さんが多いハワイをイメージしたカフェである。</p>

<p>ロコモコとアイスコーヒーを注文する。<br />
ご飯にハンバーグと卵を載せ、<br />
調理の途中に出る肉汁をベースにしたグレイビーソースをかけたハワイの名物である。<br />
1949年にハワイ島のヒロで小さなレストランを営んでいた日系人によって発案されたようだ。<br />
 "ロコ" とは現地語でイカレた奴という意味のようで、<br />
また英語のローカル（地元）の掛詞でついた料理名のようである。<br />
それが次第に広がり、現在、ロコモコはハワイにおいて非常にポピュラーな料理となっている。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017907.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017907.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>ロコモコを食べながら、ウィキペディアの情報を眺めていると<br />
いつのまにか憑いていた信長が口を挟んだ。<br />
「おぬしのような中途半端な考えで農業などできるか？」<br />
ハワイの話ではなく、農業の話だった。<br />
兵農分離の考えを持っていたと言われる信長らしい考えではある。</p>

<p>繁忙期以外は戦に参加していた農民を、<br />
信長は農業に専念させ、<br />
戦専門の人間を養成するようにしようとしたのである。<br />
実現にまでは至らなかったようだが、<br />
少なくともそういった考えを持っていたようだ。<br />
これを確立すると長期戦になっても、食糧を確保することができるからである。<br />
その考えを豊臣秀吉が受け継いで確立したとも言われている。</p>

<p>その話を聞きながら、<br />
農業技術センターのホームページを、再度、クリックしてみた。<br />
前、見た時にはなかったのだが（僕が見逃しただけかもしれない）、<br />
毎週水曜日の午後に技術センター内の見学ツアーができたらしい。<br />
また、改めて来てみようと思う。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0620.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0620.html</guid>
            <pubDate>Sat, 07 Aug 2010 16:09:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「金つながり散歩（岐阜県岐阜市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>岐阜駅前に「金」の織田信長像が現れてから、まもなく1年が経とうとしている。<br />
昨年11月の段階で、製作費の残り800万円が不足しているというニュースを見た。<br />
この像の製作費と事務経費を合わせて3000万円。<br />
高いのか安いのかは僕には、よくわからないが、<br />
寄付だけで、2200万円集めたことを考えるとたいしたものである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0017.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0017.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「そんなもの年貢で、集めればどうにでもなろうが」<br />
憑いた信長はそう言う。<br />
税金のように義務で集めた金ではなく、善意で集める寄付のような金は、<br />
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」的な信長にはわかるまい。</p>

<p>ふと本日は、「金」にまつわる散歩をしてみようと思った。<br />
何てことはない。<br />
信長の像があるＪＲ岐阜駅から歩いて10分程度の岐阜市金町まで歩いて行っただけのことである。<br />
ここには町名の由来にもなっている西暦135年に鎮座した「金神社」なる古い神社がある。<br />
奈良時代から平安時代にかけて、<br />
このあたりは国府（その地域の政務を行う施設）が置かれた場所だったようだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0008.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0008.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「金にまつわるのなら、金華山の方がよかろう」<br />
信長はそう言う。<br />
金華山には信長が、斎藤龍興から奪った岐阜城がある。<br />
信長は10年近く、この金華山の元に住居を構え、<br />
天下布武をかかげて、天下統一を目指していた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0111gi.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0111gi.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>さすがに暑いので、金華山まで足を延ばす気にはならない。<br />
30分は歩かなくてはならないだろう。<br />
昔、このブログ用に撮影した金華山の写真でお茶を濁させていただく。<br />
「お茶じゃなく、アイスコーヒーが飲みたいのぉ」<br />
信長がそう言うので、近くの喫茶店に入る。</p>

<p>ジャズ喫茶と書かれているが、<br />
ジャズは流れておらず、テレビからバラエティ番組が流れていた。<br />
この暑さにはキンキンに冷えたアイスコーヒーがたまらなく美味しく、<br />
すぐに飲み干して、おかわりを頼んだ。<br />
11時を少し過ぎていたにも関わらず、モーニングまでつけてくださった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017905.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017905.JPG" width="240" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>僕が入った少し後に現れた初老の常連さんらしき女性は既にランチをお願いしていた。<br />
何だか申し訳なくて、<br />
アイスコーヒーを2杯飲み終えると、<br />
美味しい目玉焼きをたいらげ、<br />
外に出ようとしたのだが、<br />
「そんな急いで行かなくても、<br />
もっとゆっくりしていきなよ」<br />
とマスターに声をかけられた。</p>

<p>お言葉に甘えて、ノートパソコンを開かせていただく。<br />
喫茶店の道を挟んで隣接している金公園について調べてみた。<br />
地下が市営駐車場になっているこの公園には、<br />
僕が子供の頃、よく使った路面電車の車両が飾られている。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0012.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0012.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>約5年前の2005年3月に路面電車は廃止になり、94年の歴史を閉じた。<br />
一時期、地元の有志が集まり、路面電車を復活させるべく、<br />
新しい路面電車事業の会社設立の動きもあり、<br />
それこそ、信長の銅像ではないが、2000万円を集めたのだが、<br />
結局、今も廃線のままである。<br />
現実は厳しい。<br />
そして、今年の岐阜の夏も厳しい暑さである。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0619.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0619.html</guid>
            <pubDate>Wed, 04 Aug 2010 05:10:10 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「突如、返ってきた耕作放棄地について考える（三重県北牟婁郡紀北町）」</title>
            <description><![CDATA[<p>今年の春の終わり、岐阜の自宅の土地が増えた。<br />
増えた土地は自宅から離れた耕作放棄地。<br />
別に欲しかったわけではない。</p>

<p>うちの家が昔、地主だった頃に貸していた土地を、<br />
戦後もそのまま兼業農家に貸していた。<br />
そして、毎年、年貢なるものがお金として支払われていた。<br />
高校を出てから、ずっと一人暮らしをしていたので、<br />
それらのことを知ったのは、約20年ぶりに戻ってきたつい最近のことだった。<br />
農家の後継者不足問題もあり、返したいとおっしゃったのである。</p>

<p>「土地が増えるなどとは、めでたいことではないか！」<br />
時代感覚が違う信長はそう言う。</p>

<p>都会の土地と違って、田舎のしかも家などが建てられない田畑である。<br />
僕は農業とは無縁の生活を送ってきた。<br />
そんな時、ネットサーフィンをしていたら、<br />
江戸時代の民話「種まき権兵衛」の話にぶち当たった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0043k.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0043k.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>鉄砲の名手だった権兵衛。<br />
元武士から農家になった父親は、農業を継いでくれることを願っていた。<br />
しかし、権兵衛は、農作業を手伝うこともなく、<br />
山に籠り、来る日も来る日も狩猟に明け暮れていた。</p>

<p>そんな折、権兵衛の父親が亡くなった。<br />
権兵衛は改心して、農業を始める。<br />
しかし、農業とは無縁の生活を送っていた彼は、<br />
鍬の持ち方から、種の撒き方まで慣れていなかった。<br />
撒いた種をカラスに食べられている様子を見て、<br />
村の人は彼をバカにした。</p>

<p>「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる」<br />
という有名なフレーズは、そのことを唄っているのである。<br />
それでもあきらめずに権兵衛は種を撒き続け、<br />
紆余曲折ありながらも、やがて村一番の農家になる。</p>

<p>そんな種蒔き権兵衛のことを知ることができる「種まき権兵衛の里」という場所が、<br />
三重県北牟婁郡紀北町にある。</p>

<p>国道42号線から種まき権兵衛の里に向かう分岐点に建っている喫茶店に立ち寄り、<br />
朝食をいただく。<br />
飲み物の金額に100円増しでトースト、<br />
200円増しでサンドイッチ、<br />
300円増しでホットサンドのモーニングがつく。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017835.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017835.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>ノートパソコンの電池がなくなっていたため、<br />
コンセントをお借りできないかお願いすると<br />
嫌な顔一つしないで、どうぞと言われた。</p>

<p>コンセントをお借りしたから、<br />
言う訳ではないが、<br />
このモーニングのサンドイッチは、<br />
パンにいい具合で卵が馴染んでいて美味しかった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0039.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0039.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>種まき権兵衛にまつわる資料館に行き、<br />
自宅の耕作放棄地について、<br />
何かインスピレーションが湧かないかなぁと期待して行ったのだが、<br />
世の中、そんなに甘いものではなかった。</p>

<p>今のところ僕自身が本格的に農業をやることは考えていないが、<br />
このまま耕作放棄地を放っておくわけにもいかない。<br />
もう少し考える時間が必要なようだ。<br />
しかし、その間にも雑草は生えてくるし...。</p>

<p>さて、種まき権兵衛が村一番の農家になった後の話。<br />
彼の住む馬越村に人を苦しめる大蛇が現れた。<br />
権兵衛が立ちあがり、自分が得意な銃で退治に向かった。<br />
見事、大蛇は仕留めたものの、<br />
大蛇の毒にやられた権兵衛は、翌朝、息を引き取ったそうだ。</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0618.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0618.html</guid>
            <pubDate>Wed, 28 Jul 2010 05:10:10 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「一級河川と二級河川の違いって何だろう（愛知県大府市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>駅前に立つキャラクター眺めていた。<br />
時折、一眼レフのカメラで写真も撮った。<br />
「一眼レフで撮るほどの物かいな？」といった顔で通り過ぎていくサラリーマンもいれば、<br />
僕とキャラクターを交互に、うさんくさそうな顔で見ていく老婦もいる。</p>

<p>ペットボトルで創られたこのキャラクターは、「にこっぱ」と呼ばれる共和商店街のマスコットである。<br />
僕はこういった地域で創りだされたキャラクターを見ると、<br />
ついつい応援したくなる余計なお世話野郎なのである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0320o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0320o.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「がんばってねぇ～」<br />
と声をかけ、<br />
駅を挟んだ陸橋で名古屋牛乳の工場の看板が見える反対側に渡り、<br />
喫茶店に入った。<br />
喫茶店というより、前払いのカフェ（前払いのコーヒーショップチェーン店とも違う。ややこしいけど...。このあたりもそのうち考えてみたい）<br />
と言った方がいいのかもしれない。<br />
ここの若いスタッフは、「にこっぱ」を知っているのだろうかと思いながら、<br />
トーストとパンが別料金のモーニングをいただく。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017806.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017806.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>喫茶店を出て、<br />
ぶらぶらしていると「鞍流瀬川」なる妙な名前の川が流れているのが見えた。<br />
「今川の話じゃろ？<br />
誰かが言うておった」<br />
憑いた信長が教えてくれた。</p>

<p>桶狭間の戦いで信長軍に破れた今川方の武士が、この地に逃れてきた。<br />
人も馬も疲れ果てており、<br />
馬が足を滑らせ川に落ちてしまった。<br />
ちょうど大雨のために川は増水し、<br />
人と馬は岸にあがることができたが、鞍だけが流れていってしまった。<br />
それ以降、大府の人は、この川のことを「鞍流れ川」と呼ぶようになったそうだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0318o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0318o.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>ふと二級河川「鞍流瀬川」の二級河川という言葉が気になった。<br />
一級河川、二級河川。<br />
言葉はよく聞く。<br />
しかし、何が違うのか僕はよくわかっていない。</p>

<p>三重県亀山市あたりを流れる鈴鹿川のように一級河川にしては細いなぁと思う川もある。<br />
逆に和歌山県の日高川のように日本一長い二級河川というものもある。<br />
ちなみに日本一短い１３メートルしかない二級河川「ぶつぶつ川」も和歌山県にある。<br />
いったいどうなっているのだろう。</p>

<p>生活、経済を保つ上で特に重要な水系を一級水系と呼び、<br />
その水系の川を一級河川として政府が指定しているようだ。<br />
二級河川は簡単に言えば、一級河川以外で、<br />
都道府県知事が指定しているようだ。<br />
そこから考えれば、鈴鹿川は一級水系の水、<br />
日高川は一級水系の水ではないということになる。<br />
わかったようなわからないような話である。</p>

<p>「そんなことどうでもよい。<br />
さっきの人形の方がおもしろいわい」<br />
どうやら信長は、にこっぱが気に入ったようだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0322o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0322o.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>共和商店街がある大府市には「オブリーくん」なるキャラクターがいるそうだ。<br />
ごみ減量化推進キャラクターとして一般公募で選ばれたキャラクターで、<br />
市のゴミ袋についている。<br />
いずれ、「オブリーくん」と「にこっぱ」の共演で、子供達を沸かせて欲しいものである。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0617.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0617.html</guid>
            <pubDate>Sat, 24 Jul 2010 07:12:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「犬と猫と猿の散歩（愛知県瀬戸市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>東海地区に限らず、<br />
全国どの街を散歩しても、<br />
たいてい神社に立ち寄ることが多い。<br />
別に決めているわけではないのだが、<br />
自然と出会ってしまうのである。</p>

<p>神社は全国に８万程度あるのだから、<br />
「石を投げれば神社にあたる」<br />
とまではいかないが、<br />
「散歩すれば神社にあたる」<br />
くらいにはなる。</p>

<p>もちろん、あえて神社を探すこともある。<br />
夏の散歩は、ところどころで涼しさを求める。<br />
御神木も含め、<br />
木々がこんもりと茂った神社の境内は、<br />
涼むには最高の場所なのだ。</p>

<p>そして、本日は出会う神社でも探す神社でもなく、<br />
行ってみたい神社があった。<br />
それは瀬戸市にある窪神神社。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0269s.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0269s.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>瀬戸は、ご存知の通り、瀬戸焼の陶器で知られている。<br />
この瀬戸焼を確立したのが、陶工加藤民吉。<br />
瀬戸焼きの磁祖とも言われ、彼を祀った神社が「窪神神社」である。<br />
加藤民吉には申し訳ないが、彼に興味があったわけではない。<br />
この神社の狛犬である。<br />
この狛犬は一見の価値があると教えてくれた人がいた。</p>

<p>瀬戸市をドライブ中、ふとその話を思い出した。<br />
同時にウィンナーコーヒーで知られる喫茶店のチェーン店も見つけ、<br />
思わず駐車場に入ってしまった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017857.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017857.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>溢れるほどのクリームが載ったウィンナーコーヒーは、<br />
見ているだけで幸せな気分にさせられる。<br />
その間に、どんどんクリームがこぼれていってしまうのだけれど。</p>

<p>喫茶店を出た後、<br />
登り窯をイメージした名鉄瀬戸駅の近くのコインパーキングに車を停め、<br />
駅で周辺地図をいただき、<br />
神社まで散歩がてら歩き始めた。</p>

<p>地図をいただいたにもかかわらず、<br />
いつものように気の向くまま歩いているうちに、<br />
窪神神社からどんどん離れた場所に辿りつく。<br />
一休みして、ミネラルウォーターを口に含んでいると、<br />
猫が近づいてきた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0295s.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0295s.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「サルは猫が好きじゃったのぉ」<br />
憑いていた信長がそう言った。<br />
サルこと豊臣秀吉は猫が好きだったらしい。</p>

<p>溺愛していた飼い猫がいなくなり、<br />
秀吉の筆頭奉行だった浅野長政に猫探しを命じたことがあった。<br />
しかし、探しても見つからなかった。<br />
困った浅野長政は伏見城の奉行仲間に、秀吉の猫が見つかるまで、<br />
奉行仲間が飼っている三毛猫を貸してほしいと頼んだ...そんな手紙が残っているそうだ。</p>

<p>申を祀った愛知県清須市の日吉神社は、<br />
秀吉に深く所縁があることで知られているが、<br />
彼は猫を祀った神社を建立しようとしたことはなかったのだろうか。</p>

<p>そう考えると猫を祀った神社は聞いたことがない。<br />
東京都の台東区にある今戸神社は、<br />
招き猫の発祥と言われる神社として知られているが、<br />
決して猫を祀っているわけではない。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0276s.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0276s.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>すっかり猫の話になってしまったが、<br />
神社でお目当ての狛犬も拝見してきた。<br />
荒々しいアートを見ているような素晴らしい狛犬であった。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0616.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0616.html</guid>
            <pubDate>Wed, 21 Jul 2010 10:31:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「車のナビゲーションシステムにあだ名をつける（三重県鳥羽市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>僕はナビゲーションシステムと相性が悪い。<br />
二年前まで乗っていた車のナビゲーションシステムは、<br />
何度もリルート（案内された道と間違った場合、再度、道順を検索しなおす機能）しているうちに、<br />
混乱してしまい、パソコンで言うところのフリーズすることがあった。<br />
フリーズした後、なぜか必ず目的地は五反田（東京都品川区）になっていた。<br />
よって、僕はこのナビに「五反田マニア」と名付けていた。</p>

<p>この連載を始めた頃、<br />
大学時代の友人とご飯を食べた後、<br />
信長と斎藤道三が会った聖徳寺に連れて行ってほしいとお願いして、<br />
彼女の車のナビゲーションシステムに行き先を打ち込んだのだが、<br />
なぜか八事霊園に迷い込んでしまった。<br />
「こんなこと始めてなんだけどなぁ。<br />
イシコ、何か変な電波でも出しているんじゃない？」<br />
僕は何も言えなかった。<br />
確かに僕が使う電化製品はよく壊れる。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0251t.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0251t.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>そして、前回、志摩市麦崎灯台で日の出を拝んだ後、<br />
岐阜の自宅まで車で戻る途中、<br />
鳥羽市で鳥羽城跡に立ち寄ってから帰るつもりでいた。<br />
尾鷲市を散歩した際に触れた信長に仕え、その後、秀吉に仕えた水将「九鬼嘉隆」が築城した城である。</p>

<p>しかし、鳥羽市に入った途端、<br />
ナビが指示した右の脇道に入っていくと、<br />
「リルートを開始します」<br />
というアナウンスが流れた。</p>

<p>「おいおい。リルートって、あんたが指示したんだよ」<br />
そうナビに向かってつぶやいている間にも車は、どんどん直進していく。<br />
山道に入り込んでしまったようでＵターンなどできない。<br />
ナビは「リルートを開始します」という言葉を連呼するばかりである。<br />
ナビの地図に登録されていない道を走っているようだ。<br />
その山の中に寺のマークが見えた。</p>

<p>もう、こうなったら寺まで行ってしまおうと腹をくくり、<br />
車の気配のない細い道をどんどん登って行った。<br />
登り始めて10分程度、経っただろうか。<br />
不思議な立ち方の木々の向こうに立派な塀が現れた。<br />
「青峰山正福寺」なる真言宗の寺だった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0206t.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0206t.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>8世紀、聖武天皇の勅願により、<br />
行基（ぎょうぎ）が開いた歴史のある寺のようだ。<br />
説明板を読んでいると登ってきた山は、海上守護の霊峰として知られる青峰山らしい。</p>

<p>江戸時代に造られた山門をくぐり、<br />
中に入って参拝を済ませると、<br />
駐車場でＵターンして何とか元の道まで戻ってきた。</p>

<p>するとナビゲーションシステムのご機嫌もなおり、<br />
その後はスムーズに鳥羽城まで連れて行ってくれた。<br />
この城は、正門にあたる大手門が海側に突出して築かれたため、<br />
鳥羽の浮城と呼ばれていたらしい。</p>

<p>「そんなことどうでもよいわい。<br />
はよ。喫茶店行こまい！」<br />
憑いた信長にせかされるように、<br />
鳥羽城を早々に引き上げ、<br />
鳥羽市街の喫茶店に飛び込んだ。<br />
ホットコーヒーに100円プラスしてトーストと卵をつけてもらう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017844.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017844.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>物静かな女性主人は、メダカマニアだった。<br />
メダカ好きの客が来ると、急にイキイキして話し始め、<br />
延々、メダカ談義が続いていく。</p>

<p>メダカは重力で方向を認識しているので、<br />
宇宙のような無重力の中にいると方向感覚を失い、<br />
ぐるぐる回転してしまうのだそうだ。</p>

<p>ふと、青峰山は無重力だったのだろうかと馬鹿げたことを考えた。<br />
喫茶店を出て、車に戻ると、僕はナビに「メダカ君」と名付けた。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0615.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0615.html</guid>
            <pubDate>Sat, 17 Jul 2010 08:49:21 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「コーヒー、車中泊、日の出の無性トリオ（三重県志摩市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>無性に牛丼を食べたくなることがあるように、<br />
無性に車中泊したくなることがある。</p>

<p>車中泊することを決めると、<br />
今度は無性に日の出が見たくなる。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0166s.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0166s.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>真っ先に愛知県田原市の伊良湖岬が思い浮かんだのだが、<br />
まだ、この連載に登場したことのない街「志摩市」も思い浮かんだ。<br />
志摩半島の最南端に麦崎灯台がある。<br />
ここは、日の出も日の入も見られるスポットとして知られている。</p>

<p>夕食後、風呂も済ませ、<br />
火照った身体で、<br />
三重県志摩市まで一気に車を走らせた。</p>

<p>さて、車中泊の場合、<br />
まず、どこで車を停めて寝るかである。<br />
岬の近くに車を停めて、<br />
陽が昇る寸前まで眠り続けることも一つの過ごし方で、以前は、そうすることが多かった。</p>

<p>しかし、最近は最寄りの道の駅を利用することが多い。<br />
トイレも近くにあり、<br />
自動販売機もあり、<br />
歯も磨けるなど<br />
何かと便利である。</p>

<p>21時頃、道の駅「伊勢志摩」に到着した。<br />
駐車場には、車中泊の準備をしているワゴン車やキャンピングカーが5台程停まっていた。<br />
ここから麦崎灯台までは約20キロ。<br />
余裕を持って40分もあればいいだろう。<br />
携帯電話の目覚まし時計を午前3時45分にセットする。</p>

<p>歯を磨こうかと歯ブラシを持って、<br />
トイレに向かう。<br />
しかし、今度は無性にコーヒーが飲みたくなった。<br />
無性に●×したくなることが多くなる時期なのかもしれない。</p>

<p>就寝前にコーヒーを飲むと眠れなくなる人もいるが、<br />
僕の場合、眠る前にコーヒーを飲んでも全くと言っていい程、<br />
影響なく、ぐっすり眠ることができる。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017843.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017843.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>来る途中に深夜1時までと書かれた<br />
ここ数年で一気にチェーン店が増えている和風建築の喫茶店があったはずである。<br />
ここでコーヒーと夜食がてらにエッグトーストをいただいく。</p>

<p>「夜のコーヒーもいいものよのぉ」<br />
夜の遅い時間でも、信長は憑いてくる。<br />
戦国時代の武将は理由はないのだが、朝型のイメージを持っていた。<br />
「戦に朝も夜もない！」<br />
そう言われてみれば、<br />
信長が深夜に突然、出陣の準備を命じ、<br />
今川義元の大軍を破ってしまった桶狭間の戦いもある。</p>

<p>道の駅に戻り、<br />
トイレで歯を磨き、<br />
その後、リクライニングシートを倒してぐっすり眠った。</p>

<p>3時45分起床。<br />
再びトイレで口をゆすぎ、顔を洗い、すぐに麦崎灯台へと向かった。<br />
ナビゲーションシステムの調子が今一つよくなく、<br />
なかなか見つからなかったのだが、<br />
標識にも助けられ、<br />
何とか麦崎灯台近くに車を停めることができた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0197s.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0197s.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>車から降りると灯台まで小走りで走っていく。<br />
曇りの合間を狙うようにして昇ってきた太陽を目の前に思わず拝んでしまう。<br />
これぞ、まさに「日の出を拝む」である。<br />
ついでに灯台の近くにある麦崎神社にもお礼を言って拝む。<br />
それだけでは物足りず、<br />
少し離れた片田稲荷神社にも立ち寄り、拝むのであった。<br />
無性に拝みたくなる年頃なのかもしれない。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0614.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0614.html</guid>
            <pubDate>Wed, 14 Jul 2010 10:46:38 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「リトアニアと東洋のシンドラー（岐阜県加茂郡八百津町）」</title>
            <description><![CDATA[<p>リトアニアに行くまで杉原千畝の名前を知らなかった。<br />
正確に言うと、首都ビリニュスから、<br />
知人のカメラマンが住んでいた第二の都市カウナスに到着するまで知らなかった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0014y.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0014y.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官である。<br />
1939年、<br />
杉原千畝は、フィンランドはヘルシンキの日本公使館から、カウナスの日本領事館領事代理になって赴任してきた。</p>

<p>その翌年、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアにユダヤ人が大量に逃れてきた。<br />
各国の領事館、大使館からビザを取得しようとしていたのである。<br />
しかし、反ユダヤだったソ連がリトアニアを併合したため、状況は一変する。<br />
各国の領事館、大使館を閉鎖するよう要請し、次々とそれに従っていった。<br />
そこでユダヤ人難民は、業務を続けていた日本領事館に殺到した。</p>

<p>杉原千畝は、すぐに外務省にビザを発給許可申請する。<br />
しかし、許可されなかった。<br />
日本領事館が閉鎖されるまで約2ヶ月。<br />
彼は決断する。<br />
外務省の命令に反して、ユダヤ人が亡命できるようビザを発給し始めたのである。<br />
彼の奥様も手伝って、黙々とビザを作成し続けた。<br />
領事館が閉鎖されるまでに2000以上の家族を救ったと言われている。</p>

<p>その後、杉原千畝は、チェコ、ドイツ、ルーマニアの領事館を転々とした後、<br />
第二次世界大戦終戦。<br />
ブカレスト郊外の収容所に収監され、帰国した。<br />
命令に背いた彼には外交官としての居場所はなかった。</p>

<p>約30年後、当時、救われたユダヤ人達が杉原千畝を探し始める。<br />
そして、モスクワで働いていた彼を探し当てた。<br />
その後、彼の「人間愛」が再評価され、世界中に知れ渡った。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0013y.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0013y.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>彼が生まれ育った加茂郡八百津町にできた記念館で、<br />
憑いていた信長に杉原千畝のことを説明するが興味なさそうだった。<br />
一応、八百津町の正傳寺に、<br />
信長の書状が残っているらしいことを伝えるが、<br />
「そんなもの、いちいち覚えておるわけなかろうが...」<br />
可愛げのない返事をするのみである。</p>

<p>切り上げて、喫茶店に向かうのだが、<br />
車で来ていた為、<br />
八百津の街中にある喫茶店では、<br />
駐車場がうまい具合に見つからず、<br />
街から少し離れた駐車場のある喫茶店に立ち寄った。</p>

<p>16時頃の中途半端な時間にも関わらず、<br />
20名程の客席は、ほぼ地元の人で満席である。<br />
アイスコーヒーとこの店自慢のシフォンケーキをいただく。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017855.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017855.JPG" width="240" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>麦わら帽子を被った農作業帰りらしき男性、<br />
市場のおじさまが被っているようなキャップの男性など<br />
やたら帽子率が高い、高齢者の方が多い。<br />
ふと、杉原千畝も、この地に戻ってきていたら、<br />
この高齢者のように喫茶店で、<br />
穏やかに暮らしたのだろうか。</p>

<p>彼は英雄として脚光を浴びた後、<br />
モスクワから日本に戻ってきたのだが、この地に戻ることはなかった。<br />
神奈川県鎌倉市で暮らし、86歳で亡くなったそうだ。</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0613.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0613.html</guid>
            <pubDate>Sat, 10 Jul 2010 10:43:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「名古屋駅近くのシャッター通り（愛知県名古屋市中村区）」</title>
            <description><![CDATA[<p>昨年、名古屋駅が発売した織田信長をテーマにした駅弁が好調なのだそうだ。<br />
その名も「信長膳」。<br />
亡くなる寸前の1582年。<br />
武田討伐に功績のあった徳川家康を招いて、<br />
安土城に招いた際の晩餐を再現したものである。<br />
ふと思い立って買ってみようと名古屋駅に立ち寄ったのだが売り切れ。</p>

<p>仕方なく西口のビッグカメラに立ち寄り、<br />
切らしていたプリンターのインクを購入し、<br />
自宅に帰ろうと駅に戻ろうとしたときである。<br />
ふと、名古屋駅のビッグカメラより西を歩いたことがないことに気がついた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0347n.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0347n.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>そう思って、歩き始めるとすぐに、<br />
1980年代、若松孝二監督が立ちあげたシネマスコーレが見えた。<br />
僕は高校卒業してから東海地区を20年以上、離れていたため、<br />
名古屋の映画館は、ほとんど知らない。</p>

<p>しかし、このシネマスコーレだけは東京でも噂には聞いていた。<br />
アジア映画、日本映画、インディーズ映画を中心に上映している興味深い映画館である。<br />
ちなみに僕が訪れた日は塚本晋也監督の「鉄男」が上映されていた。</p>

<p>更に西に歩いていくと、<br />
駅から歩いて3分程度の場所に椿神社が現れる。<br />
そして、ここから駅西銀座が始まる。</p>

<p>立地条件で言えば、素晴らしいのだろうが、<br />
見事なほどのシャッター通り。<br />
その中で営業する店がぽつりぽつりと現れる。</p>

<p>懐かしい狸の陶器が置かれた蕎麦屋、<br />
女性アイドルがずらりと並んだプロマイドショップ、<br />
愛知県麺類会館などという不思議な建物、<br />
レトロ感あふれる銭湯...</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0366n.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0366n.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>もちろん喫茶店もある。<br />
駅西銀座が終わるところに二店舗、<br />
道を挟んで向かい合うように営業している。<br />
直感で選んで一軒の方に入ってみる。<br />
パリッと折り目のついた白いワイシャツに蝶ネクタイの男性がカウンターの中に立っている姿が見えた。<br />
きっと何十年も、このスタイルでやっているのだろう。</p>

<p>窓際の席に座りメニューを眺める。<br />
ピラフに目が留まった。<br />
「喫茶店っていうとさぁ、俺はピラフのイメージがあるんだよなぁ」<br />
僕と同じ大学時代出身の友人が、以前、そう言っていたことを思い出した。<br />
僕が通っていた大学の近くにピラフの大盛りの量で知られていた喫茶店があったからだろう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017864.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017864.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>そういえば、この連載を始めて約一年経つが、<br />
ピラフを頼んだことがなかった。<br />
この店のピラフは「美味しい」というより、「うまい」といった方が近かった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0372n.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0372n.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>喫茶店を出て、駅に戻る途中、<br />
商店街の向こうに「ＪＲセントラルタワーズ」が見えた。<br />
高さ２４５メートル。<br />
ギネス・ワールド・レコーズに登録されている世界一高い駅ビルである。<br />
しかし、この商店街から見ると不思議な光景である。<br />
北京や上海、成都など開発ラッシュで湧く中国の大都市にいるような感覚で名古屋駅まで戻っていった。</p>

<p>そういえば、今回、信長は憑いてこなかったなぁ。<br />
まぁ、こんな日もあるだろう。<br />
「信長膳を見たかったのぉ」<br />
おっと、憑いていたようだ。<br />
信長膳は、いずれ紹介するよ。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0611.html</link>
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            <pubDate>Wed, 07 Jul 2010 07:30:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「店内の不思議な光景（三重県熊野市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>菅首相になって既に1ヶ月...<br />
とアップする前に、<br />
この文章を書いた一ヶ月程前に１行付け足す。</p>

<p>突発的な旅があることもある僕は（そして、まさに現在、旅中）、<br />
どうしても、こういったブログ連載は、<br />
一ヶ月程、まとめて書きあげておくので、<br />
どうしてもタイムラグが起きる。</p>

<p>いつ病気で寝込むこともわからない。<br />
信長のように突然、本能寺で亡くなってしまうということだって可能性はゼロではない。<br />
と一行どころか９行も付け足してしまった。<br />
と前置きして、今回は、熊野市の散歩と喫茶店の話である。</p>

<p>鳩山前首相が辞意を表明したニュースが流れていた。<br />
安部前首相が辞意を表明したニュースは<br />
沖縄のコンドミニアムで生ビールを飲みながら、観ていた記憶がある。<br />
福田前首相が辞意を表明したニュースは<br />
東京は巣鴨のウィークリーマンションで缶コーヒーを飲みながら、観ていた記憶がある。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017839.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017839.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>そして、鳩山首相の辞意表明ニュースは、<br />
熊野市の喫茶店で<br />
焼きそばとアイスコーヒーという<br />
この連載を始めてから、<br />
すっかり当たり前になった組み合わせのランチをいただきながら観ていた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0137ku.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0137ku.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>この喫茶店に来る前に鬼ケ城を散歩した後に立ち寄っていた。<br />
僕は熊野古道だけが世界遺産だと思っていたのだが、<br />
正確には、熊野古道、鬼ケ城を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産になっていることを今回、初めて知ったのだ。<br />
つまり鬼ケ城も世界遺産の一部なのである。</p>

<p>岬の崖が階段状になり、<br />
数回に渡る急激な地盤の隆起のあとを残している。<br />
波で削られた洞窟があり、<br />
天井部は蜂の巣のようになっている。<br />
これは風によって運ばれてくる砂塵で削られるのだそうだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0121ku.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0121ku.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>洞窟の中から海を眺めていると、信長が憑いてきた。<br />
雑賀孫市の墓がこの街にあることを教え、からかってやった。<br />
信長は、雑賀孫市が率いる鉄砲隊に苦しめられたことがある。<br />
雑賀衆と呼ばれる最強の傭兵隊が、今の和歌山県和歌山市あたりに住んでいた。<br />
彼らは伝来してきて間もない鉄砲で武装しており、<br />
一時は信長に雇われ、<br />
近畿の三好家と戦う際、信長側の軍勢として戦っていた。</p>

<p>しかし、信長が「一向宗」の総本山石山本願寺と対立を始めると状況が変わった。<br />
雑賀衆には一向宗の信者が多かったのである。<br />
そして、彼らは石山本願寺側についた。</p>

<p>石山本願寺にたてこもり、<br />
雑賀孫市が指揮をとった鉄砲隊に信長は苦しめられるのである。<br />
最終的に信長に攻め落とされるのだが、<br />
石山本願寺の法主顕如だけは最後まで守り、逃がし続けた。</p>

<p>信長の死後、雑賀孫市は秀吉につき、<br />
秀吉の死後、関ヶ原の戦いで西側について負け、<br />
熊野市で鈴木姓として、ひっそりと晩年を暮らした。<br />
ちなみに日本で一番多い鈴木という苗字は熊野市発祥なのだそうだ。</p>

<p>さて、鳩山前首相の辞意の話に戻る。<br />
何かが変なのである。<br />
僕はテレビに食いついているのだが、<br />
他の客が誰一人として観ていないのである。<br />
これだけ重大なニュースにも関わらず。<br />
居眠りしているおじいちゃん、病院話に夢中のおばあちゃん...<br />
老後、この街でひっそり暮らした雑賀孫市のことが頭を過った。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0610.html</link>
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            <pubDate>Sat, 03 Jul 2010 05:10:10 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「死ぬ直前、走馬灯のように現れる喫茶店とは？（三重県尾鷲市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>人生の中で思い出に残る喫茶店を１つあげてください。<br />
そう言われたら、<br />
どの喫茶店が思い浮かぶだろうか。</p>

<p>出勤前に通う喫茶店、<br />
学生時代によく通った喫茶店、<br />
プロポーズした喫茶店、<br />
喫茶店を経営している方には申し訳ないが、<br />
味などよりも、そういった生活の時間、<br />
もしくは記念日で使った喫茶店の思い出が浮かぶことが多いのではないだろうか。</p>

<p>ただ、死ぬ寸前に走馬灯のように映像として流れる喫茶店となると、どうなのだろう。<br />
こればかりは実際になってみないとわからない。<br />
「わしは、狸が用意してくれた茶屋から見た景色が浮かぶのぉ」<br />
信長がそうつぶやき、<br />
本能寺で亡くなる2ヶ月程前の信長の旅の話を始めた。<br />
武田を滅亡した後、信長の一行は遊覧旅行していた文献が残っている。<br />
どうやら、その途中、狸こと徳川家康がプロデュースした茶屋で接待を受けたようだ。<br />
そこで富士山でも見たのだろう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0088o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0088o.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>古道センターの裏手にある温泉に入った後、<br />
アイスコーヒーを飲みながら、信長の話を思い出した。<br />
古民家を改造した店の窓からは、<br />
尾鷲湾が見え、<br />
世界遺産熊野古道馬越峠のある「てんぐらさん」が見える。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0086o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0086o.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>死ぬ間際に浮かぶかどうかは別にして、<br />
この喫茶店から見える風景は、<br />
人生の中で何かの折には、きっと蘇ってくるだろう。</p>

<p>「九鬼は、このあたりではないか？」<br />
海風が心地よく、うとうとしかけた時に信長が憑いた。<br />
尾鷲市に九鬼町という場所がある。<br />
織田信長に仕えた武将で九鬼嘉隆は、<br />
三重県志摩市出身である。<br />
しかし、九鬼という名前の出自は、未だよくわかっておらず、<br />
この尾鷲市で生まれたという説が有力である。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0083o.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0083o.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>九鬼嘉隆が率いた水軍「九鬼水軍」は、<br />
水上での戦いが強く、<br />
水軍武将として知られており、<br />
信長だけではなく、<br />
信長の死後も、秀吉のお抱え水軍だったようだ。</p>

<p>「奴らには金がかかったよのぉ」<br />
信長は懐かしそうにつぶやいた。<br />
1570年代、石山本願寺との確執に信長が頭を痛めていた頃の話である。<br />
石山本願寺側についた毛利水軍に九鬼水軍が破れたことがあった。</p>

<p>この敗戦に激怒した信長は、<br />
九鬼嘉隆に燃えない船を創るように命じ、<br />
彼は船の表面に鉄を貼った鉄甲船を完成させた。<br />
もちろん莫大な費用がかかった。<br />
しかし、その甲斐あって、九鬼水軍は、2年後の戦いで毛利水軍を破ったのである。</p>

<p>信長の死後、秀吉に仕えた九鬼嘉隆は、<br />
関ヶ原の戦いで西軍につき、<br />
西軍が破れた後に自害した。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R0017841.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R0017841.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>海風が店の窓際に下がっている風鈴を鳴らした。<br />
まるで、仏壇の鈴のような音に聞こえた。<br />
しばらくその音色に耳を済ませ、<br />
いつしか心地よい眠りに堕ちていった。<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0609.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0609.html</guid>
            <pubDate>Wed, 30 Jun 2010 11:04:46 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「明智光秀の影武者説が残る街（岐阜県山県市）」</title>
            <description><![CDATA[<p>市なのに県という文字を使う。<br />
市なのに鉄道の駅が一つもない。<br />
「だから？」<br />
と言われそうである。<br />
単なる僕の興味をそそっただけである。</p>

<p>ＪＲ岐阜駅前のバスターミナルから塩後行きの路線バスに乗り込む。<br />
約30分程度で山県市へ入っていく。<br />
2003年に山県郡高富町と伊自良村、そして美山町が合併して山県市になった。<br />
山県という名前自体は古いようで、<br />
奈良時代には既に存在していたことが<br />
東大寺の正倉院に保管されている最古の戸籍から、わかっているそうだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0016ya.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0016ya.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>山県市に入ってから更に30分程度バスに乗った美山中学校前のバス停で降りる。<br />
実は、この市にもう一つ興味がわいたことがある。<br />
「桔梗塚」と呼ばれる明智光秀の墓があると聞いたのだ。<br />
明智光秀の家系は、<br />
京で活動していた武士「摂津源氏」の流れを組む土岐氏であると言われている。<br />
土岐氏の家紋が桔梗であったことから、この塚は、そう呼ばれているのだろう。</p>

<p>「桔梗塚」の前に喫茶店に立ち寄ることにした。<br />
美山中学校前のバス停を降ると、<br />
すぐにログハウスのような喫茶店を見つけたからである。<br />
山県市は路線バスの車窓から、喫茶店をよく見かけた。</p>

<p>ランチは日替わりメニューのみの喫茶店で、<br />
手書きの５つのメニューから選ぶ。<br />
ハンバーグとアイスコーヒーのセットをいただく。<br />
優しく懐かしい味のハンバーグだった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="R00177071.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/R00177071.JPG" width="240" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>ノートパソコンを開き、<br />
再度、「桔梗塚」の場所の確認をした。<br />
トンネルの中を歩いていかなくてはならないことが気にかかった。<br />
歩道がなければ危険である。</p>

<p>しかし、トンネルの中はきれいな歩道が整備されていた。<br />
しかも、外の気温がぐんぐん上がってきていたので、<br />
逆にトンネルの中がひんやりしていて散歩には心地いい。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0007ya.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0007ya.JPG" width="320" height="215" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>トンネルを出て、更に5分程度歩くと桔梗塚に到着する。<br />
「きんかん頭の墓？<br />
こんなところに奴の墓などあるのか？<br />
ワシの墓のように嘘ではないのか？」<br />
憑いた信長はそう言った。<br />
以前も書いたが、信長は光秀の謀反に対し、<br />
悔しいと言いつつも、<br />
恨みはないようで、<br />
光秀所縁の場所でも憑いてくる。</p>

<p>桔梗塚の説明によれば、<br />
歴史上、信長の死後、<br />
光秀は豊臣秀吉に追われ、亡くなったとされているが、<br />
実は影武者だったと書かれている。<br />
本人は密かに母親の郷里である山県で、<br />
荒深小五郎の名で住んでいたのだとか。</p>

<p>光秀最後の話は、いろいろある。<br />
山崎の合戦の途中、<br />
落ち武者狩りの百姓に竹やりで刺殺されたという話もあれば、<br />
怪我を負い、光秀の家臣に首を打たせて、<br />
その近くの竹やぶに埋めたという話もあれば、<br />
丹波亀山の谷性寺まで首を持ち帰った話もあれば、<br />
坂本城まで持ち帰ったという話など諸説ある。</p>

<p>しかし、桔梗塚の話は出てこない。<br />
信長が言うように本当かどうなのかはわからない。<br />
少なくとも歴史の教科書には出てこない話である。<br />
ただ、そういった伝説というものがあるというのは、<br />
いろいろな想像をかきたたせてくれ、楽しいものである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="DSC_0018ya.JPG" src="http://www.kissa-navi.net/nobunaga/img/DSC_0018ya.JPG" width="215" height="320" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></p>

<p>そうそう、山県市の読み方をまだ書いていなかった。<br />
「山県」と書いて「ヤマガタ」と読む。<br />
山形県の「ヤマガタ」と同じ読み方である。<br />
「だから？」<br />
と言われそうだけれど。</p>]]></description>
            <link>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0602.html</link>
            <guid>http://www.kissa-navi.net/nobunaga/0602.html</guid>
            <pubDate>Sat, 26 Jun 2010 05:55:55 +0900</pubDate>
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    </channel>
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