
紀元前3000年前の中国。
喫茶という茶を喫する文化が既にありました。
ただ、当時は現代のようにお茶を飲むと言うより、
解毒の為に茶葉を食べるという薬の役割をしていたようです。
それが徐々に茶葉を粉末にして湯で溶かして飲むようになっていきます。
平安時代、日本に「喫茶」の文化が入ってきました。
最澄や空海など遣唐使で「唐」に渡り、その文化を持ち帰ったという話が一般的なようです。
もちろん珈琲ではなく、あくまで茶を喫する文化でした。
それでは現代の我々が、「喫茶」をイメージする飲み物「珈琲」が
日本に入ってきたのはいつなのでしょうか。
文書に残っている一番古い物としては江戸時代、長崎の出島ということになるそうです。
しかし、それ以前に伝わってきていたかどうかになると正確なことはわかっていません。
時代は一気に現代の話に移ります。
平成18年総務省統計局のデータによると喫茶店数で愛知県は全国で第二位(一位は大阪府)。
人口1000人あたりの喫茶店の数では愛知県が第二位、岐阜県が第三位(一位は高知県)。
これが一世帯あたり一年間に使用する喫茶代となると岐阜市が一位(16,845円)、
名古屋市(13,368円)が二位となり、三位の東京23区が7,938円で、
二位の名古屋市と5000円以上もの開きがあります。
そういったことからも東海地区は「喫茶王国」と呼ばれています。
なぜ、ここまで東海地区に喫茶王国ができあがったのでしょうか。
ここで再び、歴史をさかのぼり、戦国時代。
ポルトガルとの交易を始めた舶来物好きの
織田信長はワインを日本で初めて飲んだ人物と言われています。
このとき一緒に珈琲は入ってこなかったのでしょうか?
茶を喫することも好きだった信長は千利休を茶頭として雇っていました。
わび茶ならぬわび珈琲を飲みながら、思いにふける時間を持っていたとしたら...、
実は秀吉が...実は明智光秀が...珈琲を飲みながら、
新しい王国の構想を練っていたら...。こうなると空想は止まりません。
実は、そこに東海地区が喫茶王国になった王国物語が隠されているのかもしれません。
こうして様々な歴史を紐解き、王国物語について考えることもあるでしょう。
様々な人が喫茶に対する思いを述べることもあるでしょう。
現代の喫茶文化を担う人を紹介したり、
店の情報をお知らせすることもあるでしょう。
喫茶と街の関係性などを提案することもあるでしょう。
「喫茶王国」は、東海地区が誇る喫茶文化を様々な角度から発信し、
更なる発展に少しでも貢献できればと思っております。